愛嬌を振りまいているアテーであった、彼女は通年ニコニコ顔である、私は裏腹に決死の覚悟で足場を確保しながら写真を取り続けた。

彼らにはここまでして取る写真の意義が理解できるのであろうか、、、、、、
滅多に見ることの出来ないイラヤさんであった、地元島民でもまだ一度も登頂した事のない島民が大半らしい、後で聞いたのだが外人女性以外で言えばフィリピン人女性で登頂したのはアテーが初めてだと言う、勿論サポータ役にもはじめて登頂した人が2名いた、一軒平気そうだが、後に翌日仕事先から早帰りする者休む者までいたのである、原因は勿論この登山による極度な疲労からだであった。
この斜度見てください、残念ながら足場を写す余裕がなく撮影は出来ませんでしたので、迫力にかけますが、ハッキリいって自分の体を支えるだけで精一杯、写す事が出来ませんでした。
ついに登頂成功時間は現地時間12時頃、実に5時間かけて登頂に成功!!!
私も入り記念撮影です、いやいやお疲れ・お疲れ、本当にご苦労様、、、、、、

御覧の様にガスっていて何も見えない始末です、半ば山頂からのパノラマ撮影を期待して態々日本からやってきたのですが、残念でなりませんでした。
山頂は御覧の様に休火山です、ハッキリと火口が大きく口を開けて遥か下方に向いておりました、私は火口を写そうと試みるのですが、シノヤブが足場を隠し手前に出る事が危険な為、ガイド役サポーターに止められる。
どうやら、持ってきた杖を万能ナイフで切り落としている、いったい何をしようとしているのだ、、、、、

後に判る・・・・・・・・・・・・!!
ラーキーな天運は廻って来たのであった、一瞬の隙を突いてガスが取れ晴れ間が覗く、時間にしてホンの数分間であった、どのタイミングまで待ってシャッターを押すかが、実に難しい選択であった、これは島北方海域である、道は全く無い為歩いても近づく事が出来ない、だから是が気でもこのイラダ山から写したかったのである。
御覧戴けますでしょうか、、、、
北方海域の前山の様相です。
同じく前山です、見事な様相が手に取るように一瞬にして見え隠れ致します。
同じく
これは山頂に立て残した、私たちの全員のサイン入り記念PETボトルです。

山頂は想像も出来ない程の豪強風がタイフーン(台風)が度々襲いますので何時まで残っているのか全く想像もつきません。

このバタネス州はタイフーンの通り道でして、一度襲うものなら木々の葉はゴロ裸になり、葉が何もなくなります、勿論パパイヤだって全て落ち、放し飼いのカンビン(ヤギ)だってパタイ(死ぬ)になります。
早朝登山前に地元バスコで買った、ホットパンディサール(暖かいパンの意味)を全員で食べて暫し休息をしている。

しかし、南国登山には絶対水は欠かす事が出来ない、もし無くなれば、それは死を意味いたします、それくらい貴重と言う事でしょうか、、、、
火口付近の斜面撮影です。
島北西部海域です、今でも島民が少々住んでおります、嘗てここがメイン集落であったようです、しかし噴火の時溶岩が流れ殆どが絶滅して依頼、余り住む人がいなくなった様です。
角度を換えて河口付近を斜面を写した様相です、私たちの山頂へ登りきった付近が写真上左端となります。
先ほどの島北西部集落に行く途中の道路を望遠写真撮影して見ました。
これは山頂付近の地割れです、大きなホールが数箇所口をあけて雑草内に隠れております、勿論ガイド無くして勝手に歩けば嵌る可能性大がです、非常に危険なので避けなければいけません。
出来るだけ近づいて撮影して見ましたが、これ以上は危険でホール撮影が出来ません。
いよいよ午後1時下山開始、唯一の私たちの登った斜度を写した写真です、現場の状況は更に目線が下になります。
これも下山の様子です、登っている様に錯覚致しますが、逆です、下っております、それだけ如何に斜度が急かと言う事が判るのではないでしょうか、、、、
同じく
この様な感じでシノの根に両手でしがみつき尻を擦るようにソロソロと数m下ります。

実に怖いのなんのって、、、、、、
わお^^^^^これは更に台湾本土寄りのイトバヤット島の右にある島である、良く見えますね、
これがバタネスで第2の人口を誇るイトバヤット島であります、バスコからは連日飛行機が出ています、片道p700、フライト時間はたったの10分
ダイブ下りイトバヤット島が遠くに見えるようになりました、この頃から両膝に登山特有の激痛が襲ってきて、痛さと下り坂で膝にかかる衝撃が重なり数歩下るのがやっとの思いだった、無事下山ができるであろうか、まさかの出来事だった。

これ以降の下山写真は激痛の余り撮影不能となってしまった、結局山麓までなんとか自力下山するが、携帯電話でトライシクルをこれる所まで呼んでしまった、私に取れば救急車の様なものであった、ジーンズの膝に当る場所はすっかり破け落ちた、如何に下りの膝への衝撃がキツかったか、後から考えても想像以上だった事を今でも思い出す、トライシクルから降り立った私の姿見て皆拍手で迎えてくれた、ガイドのコーヤアンディーは始めて本当のことを言った、「アメリカ人は辛すぎて途中で断念したんだ、そして下山したんだよ、だから早く家にも帰れたんだ、まさか日本人が山頂まで登るとは思わなかった、貴方は勇気ある日本人だ、この島の人でさえ、途中で止める」私は彼に向かって言った「そうだったのか、でもその嘘が本当に良かったよ、結果的に負けじと自身の辛さをずっとシノギ続けたんです、貴方は良い意味の嘘の天才だよ!! 心からジュース ママホス(イバタン語で本当に有難う御座います)、その後深夜遅くまで皆で語りあかし、何とカラオケ店にまで出かけてしまった。
結局翌日は殆ど激痛で動けなかった。