相当な斜面のきつさだった、それは想像以上であった、知っていたら登頂は断念していた筈だ、今更愚痴を言ってももう遅い、、 そう言えばここの話からイラダ山に登ろうと火がついたのである、それはガイドのコーヤ・アンディが依然この山へアメリカ人を案内したと言う、その内容に寄れば私よりも年代は全く上だと言う、更には定宿を9時くらいに出発して、片道2時間程度で山頂を走破し、帰路につき昼には定宿に着いたと言っていた。 しかし、後から思えばとっても不思議だった、本当にこれだけキツイ斜面を登ったのだろうか、、、、 この後40度を超えるロッククライマーコースにさしかかる。 |
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益々周囲の超美しい大自然を独り占めにした様な爽快感を味わう、これだけの大自然を手に取るように見える私はとても幸せ者と思える気もしてた、その反面2度とこの場に足を据えられるだろうか、、そうも正直思えたのである。 | |
やっとの思いでどうにか、最終ベースにたどり着いたそう確信したが、むごすぎた、この下方の写真を見ればおいおい判る。 | |
写真上でも判るだろうが、既にジャングルは消えていた、全く根の張り込んだシノヤブだった、見て判るように私たちの背丈以上で周囲は全く見る事が出来ない状況だった。 | |
見てください、御覧の山がイラダ山なのです、これを見た瞬間、、、、頭が真っ白になりました。 まだあるのか、、、? 後どのくらいかかるんだ、ガイドは後100mだと言う、嘘付けどこが100mなんだと思った。 目線で見ても山頂まで300mはある、しかも見てください、この斜度です、どうするとアテーが言ってきた、帰ろうと本気で言ってきた、、、、!! |
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山頂付近をカメラ一杯にZOOMして写して見た、写真中央から右下下方へ線の様な物が登山道だと言う、しかし、後に行ってびっくりする嵌めになる それは道じゃ無かった、、、、、 それじゃ、いったい何だ? 集中豪雨で自然に出来た水の落ち口であったのである。 |
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そんなのも全く知らず、取り合えずイラダ山をバックに記念撮影する。 実に彼らはタフだった、誰一人へこたれない、おいおいどうしてだ、、、何度も伺ったくらいだった |
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角度を変えてもう一枚、しかしこのシノヤブには実に周囲状況が全く消される、南方民族は山に入る時は必ずナタの様な万能ナイフを其々が携帯する、それは実に起用に使うのだ、邪魔な木々の伐採、喉をうるおす椰子のみを割ったり、又は蛇とかに出会ったときこれで仕留めたり、用途は様々である。 | |
いよいよ、高度が増したせいかガスがかかってきた、周囲が雲って良く見えない、期待の山頂登頂時周囲は見えるだろうか、、、、 全くの天任せであった。 |
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いよいよ、最終山のイラダ本山への斜度へ挑戦が始まった、既に40度の斜度は超えていたと思う、どうして判るかと言うと、私の日本の故郷では冬山でスキーを幼い頃からしていたので、斜度には意外と敏感な感覚を持っているからであった。 ここは最終ベースであった、目指す山頂は後数百メートルであった。 |
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一旦遠くに見えた空港であるが、今度は眼下にに吸い込まれるように近くに見える。 | |
島東海岸太平洋側である、煙までクッキリ見える。 | |
同じく島東海岸クリスタルケーブル近くの望遠写真である。 | |
先ほど大きな愚痴を吐いた場所である、全員で写した写真の現場は写真中央の付近の点程の窪地である。 実にその場所からついに登ってきたのである、既にクライマー登山状態であった、足はサンダル実にすべる危ない、落ちれば一たまりもない状態だった、わが身より通訳の女性アテーが心配だった、シノの根にしがみつき必死で体を上昇させいっきに2.3m登る、時に鋭く滑り、まるで恐怖のあまり引き返したい、でも戻りようがない状況だった、ふと頭にある事がよぎった、ここから生きて戻れるだろうか、、、、 これしか頭に浮かばなかったのである。 |
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クライマーコースから時々カメラを背中に向け写す、それが何時しか写真家魂の様になっていた、極端にアンバランス状態で両足に加重がかかる、それはガタガタと振るえ足ふるえが止まらなかった、写さねば、、、 とにかく万一の状態があっても、このカメラだけでもマニラへ送り届けねばと今の自分を失っているほど必死で写した一齣であった、、、、、 |