フィリピン人海外出稼ぎ者の裏事情

  フィリピン共和国は国策事業として以前から海外出稼ぎを推奨いたし押し進めて来た国で御座います。

 その背景には増え続ける人口とそれに似合う食糧事情が伴なっておらず、大半の国民が幾度も貧困と飢えを体験する者も数知れず、一方の国策で外資系企業誘致を行い徐々に増えては来たものの、新規と撤退の繰り返しが暫くの間続いて来ました、その最大の原因は治安の悪さと社会インフラの悪さが目立ち思う様に整備されず、落ち着ない日々が続いておりました。

一方のフィリピン人による海外出稼ぎ者は年々増加の一途を辿り、行先は中東・カナダ・アメリカ・台湾・香港・船乗り等に集中、もちろん最近では日本もその中の一つです。
一昔前の日本に置けるフィリピン人と云えば大半が興行ビザによるフィリピン人ダンサーや数は少ないが一部のシンガーで大方占められておりました。

しかし2010年以降に入ると日本側の事情で興行ビザ発給を厳格化した事により極端に来日フィリピン人が少なくなりました、それから数年間日本に置ける来日フィリピン人は激減ししばらく空白期間が続きました。
その後日本国側が外国人労働者へ国策変更を行い法改正がなされ、興行ビザが激減した一方で外国人研修ビザや単純労働ビザに置き換わって行きました、その影響で嘗てはフィリピン人女性で多く占められていたものが、今度はフィリピン人男性に置き換わっている状況です。

 
どうしてフィリピン人は海外雇用を好むのか?


 もちろん好む者など誰一人いるはずもありません、わざわざ遠く離れた外国へ行って見ず知らずの国へ、それは命がけでもあり不安と引くに引けない裏事情があるからこそ、行くしかないと云う背景に押されているからです。
すべてのフィリピン人とは云いませんが、大半の方は該当されていると思います。


 海外へ働きに行く目的はなんですか?

 @ ずばり貧しい生活から一日もはやく抜け出したいから、

 A 結婚し子供が生れ一番かわいいさかりですが、思う様に仕事にあり就けません。

 B 仕事はあっても賃金がともかく安すぎて、いくら働いても働いても食べるだけで精一杯です。

 C 家族は食べるだけで精一杯、近隣で暮らすある家の夫は中東へ出稼ぎ中で毎月安定的に生活費を送って来ます、他の家と違って年々様々な家具や家電、そして子供への環境がアップしています。

 D 外国でお金を貯めて帰国後にはフィリピンで事業を始めたいから、

 E 我が家を持ちたい、新築したいから、そうですマイホームはフィリピン人に取っても夢なのです。

 F 子供の進学費を稼ぐ為です。

 G 両親の手術代や医療費を稼ぐためです。

 その他いろいろな意見があります。


 フィリピン人が海外出稼ぎに行ってほんとうに幸せにありつけるのか?

 フィリピン人の海外で働く者の内、家族を持つ者は非常に多い傾向にあります、また近年時代と共に独身で行く者も増えており、以前と比べればフィリピン国内に置ける外資系企業も増え定着化して来てはおりますが、やはり就職時の人選競争ハードルを超えるには運もあって超容易ではありません、それよりハードルの低い自ら海外ではたらく方が希望が通りやすい環境があります。

確かに外国へ行って働いている限り月々の給与は出続ける訳ですが、問題はその報酬と引き換えに精神面ではどうなのか? 


 事例として一家を支える父親が日本へ来日した事例を取り上げて書いて見ました。

 在住歴30年以上 現在52歳 性別 男性  国籍フィリピン人 在住資格 日本国永住ビザ

父親が日本人の為日系二世にあたる事から日本での労働を認められた立場にありました、その当時日本国内の民間人材派遣会社がわざわざ日系人探しに赴いたそうです、特に日系人が多く暮らすフィリピン共和国やブラジルをはじめ、アルゼンチン・チリ・エクアドル等中南米に赴いたそうです、目的は日系二世を来日させ日本での就職の世話を促す一方で、派遣賃金の徴収、更に住居光熱費や就職先へ送迎費を天引き、そして来日までにかかった渡航費(各機関への手続き費用も含む)も毎月の給与から天引きする契約でした。

上記だけを見れば派遣会社と日系二世者の溝は然程感じません、しかし当時の日系二世を専門にあさる会社は、人材派遣会社として健康保険への加入義務はなく、そのお陰で来日と同時に発生してしまう「国民健康保険税」が毎月の様に溜まって行きました、もちろん市町村も都度督促状を出し続けましたが、フィリピン人に対し日本語で書いた督促状を読める者もおらず、知り合いの日本人に読んで頂いて内容を把握したところで、今更ながら溜まりに溜まった滞納金、数十万円、百万円と、中には数千万へ達した日系二世。三世もおりました。

その日系二世人材派遣会社のある管轄市町村には「億に登る未納税が発生するといった前代未聞の事件」にまで発展しました、溜まりかねた国は国内すべての人材派遣会社に対し雇用と同時に健康保険と年金加入の義務化を決定、それ以降の国民健康保険税滞納は減りましたが、既に溜まりに溜まった滞納額徴収は難しく横ばい状態のままです。

もちろん、来日フィリピン人が日本の健康保険システムを知る者など誰一人おりません、斡旋された人材派遣会社が先導しおこなってくれなければ滞納となる事は解るはずで、それを放置続けていた事による借金があまりにも巨額となりました、彼もその被害者の一人で知った時は既に500万円を超える額だった様です。

やがて在住歴も長く、来日当初にお世話になった日系専門の人材派遣会社にも愛想が就き、辞めて自ら別の企業を探し再就職しました、そんな中で数年に一度申請するビザの更新時に入管職員から永住ビザの取得を進められました、その制もあって要件をクリアーしていた彼は永住ビザの取得申請を行いました、結果は多額の未納税があるという理由から不許可となりました、外国人に取って永住ビザの取得は不可欠なビザです、しかし500万円も登る滞納税を支払う事は容易ではありません。

自国の家族にも毎月の様に送金、そして忠実なフィリピン人程両親にも送金、日本での給与が増えるとフィリピン側の生活も安定するころ、今度は家を建てる為の土地と家屋を新調致す為の新たな送金に移行します、さらには子供の学費として小学校、高校、大学と学費もうなぎ登り、益々送金額が増えても減りはしません。

500万円の返済を優先すれば国への送金を抑えるしかありません、もちろん自身は最低の生活費で日本生活を送っております。

2000年代の日本の景気が好調の頃、思わぬボーナスが入りやっとフィリピンへ帰省しました、来日後必死で働きづけで帰省費用も惜しむ為数十年ぶりの帰省だったようです。
その頃は目指す土地も家屋も新調でき、子供も大きくなり大学へ進学した頃でした、久しぶりの帰省ですっかり満喫ができ、また力を振り絞って来日する為セブ国際空港へ向うと、空港のチェックインカウンターでパスポートがない事に気づき、急ぎ自宅へ戻りました、自宅に戻った彼は寝室を開けてびっくり「フィリピン人妻が別の男とベットで抱き合っていた姿」でした、フィリピン人妻にして見れば、戻って来るとは思ってもいないでしょうから、でも彼にして見れば偶々戻らざる得なかったのです、今も忘れる事のできないショッキングな出来事です。

それからと云うものはろくな会話もなく22年間フィリピン人妻を信用できぬまま月日は流れて行きました、フィリピン国家族法上に協議離婚制度のない国故に法的に別れる事もできず、今までは家族の為と思い食いしばってでも送り続けた送金でした、しかしこの様な事が起きても我が子の学費を止める事はできず、送金額を減らしながらも送金したそうです。

その代わりに彼は溜まりに溜まった滞納税の国民健康保険税500万円の支払いに廻したそうです、苦しみながらも連日の夜勤を続け滞納額の返済も終え、最終的に永住ビザの申請へと漕ぎつける事が出来見事交付されました。

これで何時までも日本に住むことができる資格を得た訳ですが、自身の心は晴れぬまま何時も帰省した時に見た光景を忘れる事はできず、どうしても許す気持ちにはなれなかったといいます。

それから更に年月は流れた頃子供が大学を卒業し日本で働きたいとの事で永住ビザを持った父親に連絡があったそうです、来日させる為には取り分けフィリピン人父親への親族訪問ビザで来日させ、更に日本で日系三世としてのビザ資格申請が目的でした。
一度の来日では申請のみでしたがやがてビザが交付されると日本での就職が可能となりますので、父親として知人を頼り就職先を世話しました。

一人残ってしまったフィリピン人妻、その浮気妻ですが子供が来日し就職してしまい一人寂しい日々であったのか?
とある日息子がフィリピン人母を日本に呼びたいとの事で父親に連絡が来ました、正直父親の立場は複雑でフィリピン人妻が日本に来る事へ協力したい気にはなれませんでした。

でも息子とは縁を切りたくないので、やむに已まれず協力する事にしました、当然ですが父親は日系2世であり永住ビザの取得者ですからフィリピン人妻の保証人になるには十分な法廷人です。
しかし、今まで日本での苦労した送金し続けた事を思うと簡単に許せるはずもなく、取り合えず息子が望む来日までは手伝ってあげる事にしました。

彼はつぶやきました、フィリピンに残した妻と子供を幸せにしようと努力した数十年、何時も何時も寂しい日々、何の為に結婚して、何の為に送金したんだろうか?

気づけば、苦労して新築したセブの家です、今では家族だれ一人も住んではいません、

何の為に建てた家なのか? じゃ今更セブに帰っても仕事がないし、それに以前とは違い少しつづ社会環境が改善されては来ましたが、やはり安定しないフィリピンでは一時的に良くとも生活費が稼げません。

このままず〜〜〜と日本に住み続け亡くなって行くのか? 少なくとも年金が出る迄は頑張るしかありません。

しかし当初来日してお世話になっていた日系人専門の人材派遣会社が自社の設けを優先するあまり、健康保険も厚生年金も給与天引きはなされず、当然ですが給与を貰う時現金が多い様に思わせられておりました、何十年も経って解った事は所得税以外何も支払ってはいなかったのです、日本語の全く読めない私達フィリピン人はただただ日系専門の人材派遣会社を信じ、日本人の嫌がり常に出入りの激しい仕事ばかりに従事させられました、お正月と盆休みそして5月の連休以外は、毎日来る日も来る日もひたすら夜勤のみです、時給は高いですが30万円を超えるほど働いても、なんだかんだと引かれ手取りは20万円弱ですが、先ほども述べた様にその中に健康保険も厚生年金も引かれていないのです、ですから来日後再就職する迄の数十年間は厚生年金を積んでいない期間なのです、私達フィリピン人から見ればほんとうに自分の設けしか考えない会社で、吸血会社の様にしか感じられないんです、ですから途中で逃げる者もおりました。

中には、思い切って帰国する者もおりました、でも先にも述べた様に帰っても生活維持させるだけの費用は必要で何処からか得ねばなりませんからその選択は出来ません、その反面意地でも浮気したフィリピン人妻の世話にはなりたくないと思っていました。

一方の息子は、日本で母親と一所に暮らし新築住宅を購入しました、母親と息子で支払っているそうです、一ヶ月の返済額は約11万円、返済期間は35年間なので自身が帰国しても生活費を送ってくれる余裕などないのも明らかです、おまけに息子の給与は月手取りで19万円、最近フィリピンから嫁を貰ったばかりで子供も生れました、母親はどこかの英語教師らしく月30万円を超える給与の様です、しかしその母親にまた新たな問題が?

最近息子からの連絡によると、フィリピン人母親はブラジル人の恋人が出来た様でそのブラジル人と結婚したいとの事です、別居中の私にアナルメントしたいから協力をして欲しいと息子を返して連絡してきたようです。

もちろん本国での裁判費用の一切はフィリピン人妻が拠出するとの話ですが、彼はどうでもよくなり望むところ「好きにやれば」といってあげたそうです。

それより、母親がブラジル人と再婚したらどうやって息子だけで住宅ローン返済できるかと? 月19万円の手取りで11万円の返済じゃ、、何れ破綻は見えております父親は心配しています。

父親は家賃3万5千円のアパートでますます一人孤独になって行ます。




 フィリピン国が推し進める海外出稼ぎとは、結婚して何十年も離れ離れが当たり前、毎度スマホ画面でのみの家族とコミニケーション、以前の国際電話だけよりは費用もかからず増しになりましたが、今の日本では到底考えられません、でもフィリピンではこの様な仮面夫婦があちらこちらなんです。

彼は云いました、こんな生活は愛の欠片も感じない、私は妻から見ればだたのATM夫にしか過ぎなかったのです、この家族の何処が幸せでしょうか? 失った時間を思い出すと悔やむばかりです。 

貧困国のフィリピンではどうしたら日々苦しい生活から抜け出せれるか、そう言う渦中の結婚ですから益々生活苦から選ぶ方向に選択肢などありません、実態は結婚しても実は離婚に等しく家族とは常に離れ離れが当たり前、もちろん自身も寂しければ、フィリピンに残る妻も寂しく、それどころか互いに離れている訳ですから夫婦間の肉体関係もほぼないに等しく、それが故に妻には永遠に振り回されているだけじゃないか?


以上が実話です。


 まとめ


フィリピンで暮らしているとこう云った関係が普通に見えます、夫が常にいない立派な家が多いんですよ、もちろん何十年経っても滅多に見ることのないフィリピン人夫です、子供だけが時間と共に成長している姿、、、だけが見受けらるだけ、、、これの何処が幸せな家族と云えるのだろうか、、、?


  私の妻も同じフィリピン人ですが、その妻も時々私に云いますが、「あの立派な家はフィリピン人夫が海外で働いているから幸せだと、、、、?


その家を私は何件も見て来ました、家は立派でも夫のいない家の何処に幸せがあるのでしょうか、もちろん逆に母親がいないと云う家も多いです、私には疑問と矛盾しか沸きませんでした。

子は育つ過程で父親からも母親からも愛情が不可欠です、それらをまったく受けずにひたすら母親だけ、父親だけを見て育つこの姿が理想と云っている様にしか聞こえません。

日本人の私から云えば文化の違いでしょうか、妻の云う言葉が素直に心に響きません、ただただ矛盾だけが沸いて残っております。

貧困生活から抜け出す為の犠牲者となった海外出稼ぎ者が待ち受けている、人には語れない裏事情、でもだからと言ってそれを成し遂げたとしても、お金だけあれば幸せになれるとはとんでもない大きな隔たりと云えるのではないでしょうか。

結局、一度フィリピンを出国し出稼ぎ始めたら、人生の大半を過ぎるまでは母国に戻れないのです、それは戻ったらまた苦しい生活に戻ってしまい生活が滅茶苦茶になるからです、戻れるとすれば、子供が大きくなって代わりをする事が最低要件でしかないのです。

しかし、近年のフィリピン人は以前強かった家族間の絆は薄れ親へ恩返しする子も少なくなりました。

一見、フィリピン人を見てだれがこの様な裏事情を想像するでしょうか? 

それどころか一般的なフィリピン人を見れば愛想がよく、人懐こい性格で、反面大変愉快な部分も秘めており、不幸にもなにか起きてしまった後の諦めも早い民族です、これらは文化や宗教の影響でしょうかともかく後に引きづって生きる人は少ないのです。

そんなフィリピン人に見えますが、その陰には根底にともかく母性愛が強く影響した国民です。

フィリピンは女性が社会を動かす事で循環よく機能する社会に感じてなりません、もちろん女性上位の国家でもありますが、家族内でもそうです、

我が家とて例外ではありません気づけば子供が成長すると共に確かにフィリピン人妻の母性愛による影響が大きくなっております、もちろんそれが日本人として嫌な場合も御座いますが、家族内として見ても、それはそれでいざこざが起きても収まりやすく、上手く循環しているので自然と受け入れております。