フィリピン人が免許センターの英語試験に合格できないその理由とは?


 妻が初めて手にした日本の運転免許証を見た時はなんとも言えない喜びと安堵、そして解放感に浸った者です。 よくやれたなぁ、、、、何度も喜びに溢れたのを覚えております。 今振り返って見ると免許取得までに約9カ月と11日、本当に気苦労と息詰ま日々を改めて思い浮かべます。
2013年2月道路交通教育出版株式会社発行の英語版で手に入れ勉強を開始、2月〜4月中旬にかけて時間をかけてみた、4月中旬以降になって県運転免許センターで初の仮免学科試験(合格45点以上)のみにトライ、なんと「33点」だった、それから数えること仮免試験15回まで片道2時間以上かかる県運転免許センターへ試験に通った、妻は実技を伴わないので(自動車学校入学がない状態)実技から見えてくる試験内容がわからず理解度を超えていると云うことで、6月中旬ついにドライビングスクールへの入校を決断する。

 ドライビングスクールへ入校した者の学科に関してはまったく「ちんぷん かんぷん」特に英語専門に教える先生がいることもなく、ただひたすら学科教習(座っている)に参加しているだけ!  これが規定ですか? まるで現実はまったく伴っていない! 在日外国人から見れば、授業内容が理解でき様が、出来まいが関係なく進む、日本語指導しか教えられない自動車学校は学科教習料金を徴収すべきでない この様な自動車学校は、学科は100%自主勉強をするのが暗黙の了解となっている、となれば日本人配偶者が責任をもって英語学科を教える以外ない。 それでも学科料金に差額がないのは到底納得できない、意味不明の言語を聞かされ、おまけに金を支払う詐欺の様だ!! しかし解っていてもドライビングスクールが近くにない、あっても遠方で通いきれない、つまり選ぶ事ができない地域の方が遥かに多い。

 とは云う者の一旦入校すれば学科及び実技は回数分ドンドン進む、それに伴って学科はドンドン遅れる、そう云う中で7月中旬仮免実技が合格、再び県運転免許センターへ仮免学科英語試験へと再挑戦が始まった。(英語や中国語等に関しての試験は自動車学校で受験できない為)
既にドライビングスクールへ入校している為、仮免学科試験の合格期限は3カ月以内限定となる、毎回必死で猛勉強に励むが幾度受けても精々38点止まり、まったくそれ以上が伸びない、 本人も悩みだす、 英語試験を止めて日本語試験にトライすれば教えることは可能、しかし英語のままでは私が教えることができない、妻へ迫ったが、妻は頑なに日本語試験を拒み続けた。

 乗り越えるには二つの選択肢、妻が日本語試験を嫌がるのであれば、私が英語試験を教える以外選択肢はない、どちらを選択しようとどちらに取っても過度な負担は避けて通れない、極めて難関でしかなかった、ここで方向性を早く決めなければ自動車学校入校後の終了期限もあるためドンドン時間が近づいてしまう。

 問題はこの選択で実になるか、あるいは挫折か、本免実技合格(卒業)から1年以内に本免学科に合格できないフィリピン人も普通にいるし、実際受験者の中には、「残す期限はあと2週間と有効期限が迫っているフィリピン人もいた」、夫妻で訪れおそらく受験送迎で来ていたと考えられるが、ここまで期限が迫って受からない妻に嫌気を指しているのであろうか?
互いに口を聞こうともしない、また、同じく受験に訪れていたフィリピン人でさえも声をかけ難く、重苦しい雰囲気を感じずにはいられない、

当然だが合格することはなかった様で、ついに流れていった様であった。
中には合格出来ない妻と、夫婦喧嘩の末フィリピン人妻が家出というのもあった、田舎だけに最悪の交通便、日々通勤・買い物に車は必須です、それ故にけして人ごとではない、有効期限に余裕があるとは決して思ってはいけないのです。

 フィリピン人妻のみの単独(自力)合格者も極少いたが、極めてないに等しく、むしろ望む方が無理(間違っていると錯覚するくらい)と改めて感じたくらいでした。
それはこれがけして珍しいことではないからです、また、日本人夫に多いが免許センターへ送迎のみ、その程度の協力で受かるとは思わないことです、ひつこいですがけして簡単な道ではありません、フィリピン人の弱点(最大の障壁)は米語圏のフィリピン人であって英語圏ではないこと、日本の試験は「英語」ですから、米語と英語が100%同じではありません、ここに気づけないのです、特にこの部分に対し引き締めるのとです、日本人配偶者が私は日本語以外知らないから何もできないと思ったら、そこで停止です、

それ以上の結果は付いて来ません。
如何に日本人夫の関与(協力)および直接の指導(絆)が大切で、かつフィリピン人妻に癖のある英語問題を教えられるか、ここが最大のポイントであったと思っております。


 苦渋の選択だったが妻に日本語は辛すぎると解った私は英語試験に協力することを決意、、、、非常に辛く、長く、創造を超える戦いでした。
英語試験に協力し始めて次々に解ったことは、英語試験とて日本語試験の様に非常に捻くれた問題が出題されていることだった。
知らなかった私は、それまで試験を数十回受けても変わらぬ点数を見ながら、妻(田舎の大卒)の学力に疑問を持つようになっていた、私が英語試験問題の内容を理解する様になってからは、妻の難関差が互いに共有できる様になった、っと同時に日本人配偶者の関与なしに妻のみの力で合格するなんて極めて厳しいことも理解できた。

もう一度書きますが、日本人配偶者の関与と言えば試験会場の送り迎えと思う人もいるかも知れないが、その程度の協力では合格できません、それはその程度なら幾人も見て来たのです、確信は英語試験問題の中身を如何に日本語訳し、どこが米語と英語文を勘違いしているのか、勘違いの部分を日本国英語流に紐どきすると、殆どのフィリピン人は米語流国ですから、激しく抵抗します、であってもそれが英語と米語の違いである事で合格が見えて来ます。

試験も20回以上も繰り返し受験すると出題問題は全部で幾つあって何曜日にどの問題が出そうか? 

 受験者同士連日出題された問題を尋ねチェックして行くとある程度の出題予想が可能(100%とはいかないが)
出題問題の中でもソコソコ点数の伸びる問題が一つや、二つあってそれを中心に猛勉強をいたし頑張り抜くことである。

 その中でも、得意とする問題のみを数十回受験すると仕舞に仮免45点以上合格が、毎回受験する度に40点を超える様になった。
っと感じる頃から、そろそろ合格が近いのかなぁ! なんとなくイメージがわく様になった。

 長かったが8月上旬遂に挑戦33回目で仮免学科合格

 空かさずドライビングスクールへ戻り卒業迄実技教習を繰り返し9月1日本免実技合格、卒業証明書交付、いよいよ最後の難関中の難関、本免学科試験開始である、
再び本免英語試験にチャレンジ、取りあえず合否や点数は視野に置かず、本免の出題は何パターンあって、どの問題が受験者から見て合格出来そうな問題であるか、仮免受験時でも苦労した様に” 

 これを見極めるのが先決であるため、約2週間休まず受験、すると本免の出題は5つのパターンであることが解ったのである、中でも受験者(妻)に取って比較的点数の高い出題を二つ選ぶことにした、その二つの問題を中心に猛勉強を繰りかえす方法である、本免受験11回以降は、仮に選択した以外の問題とぶつかった場合は無視するが、仮免同様連日出題パターンをチェックしているとある程度翌日の出題が予想できる、それを中心にできるだけ狙った問題を幾度も受験する様に努力する。

 もちろん、妻が覚えている問題はできるだけ書き止め日本語翻訳する様に努力しなければ、その問題が正しいのか誤りか、一切不明のままで、その地味な努力を幾度も時間をかけて戦うしか、合格が見えてこないのである。

 本免開始以後約2カ月中場に入った頃、おぼろげながら狙い続けた問題二つの内の一つが連発して83点台をたたき出すくらい勢いづいてきたのである、本免受験開始以後満2カ月を過ぎる頃から、一番合格へ近い 「狙った問題に中々出会わず、あせり感が出てきた」 のである、

 この日も何時もの様に免許センターへ受験、数時間後私の携帯に突然メールが入った、

 それは妻からだった「今日狙っていた問題が出たよ」だった。

 空かさず、自信はどう? こう返信したが、解らない 私はまた駄目かなぁ? 

 更に時間が経過し発表時間が迫っていた、再度メールが届いた、やったよ” 「パスしたよ」 感謝 感激 こちらまで興奮しちゃった 実に29回目のチャレンジだった。


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