プリンセス オブ ザ スター沈没事故

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2008年6月21日 スルピシオラインズ社所有 旧19000トン⇒国際総トン数23000トン(売却後改造された総トン数) 航海速力21.8ノット 長さ192m 幅29.4mの巨大なフェリーが台風直撃を受け度重なる高波を受けてエンジンが故障いたしシブヤン島南海域で航行不能となり最後は沈没すると言う結果を生んだ。

このカーフェリーは元新日本海フェリー所属のライラック号19000トン 石川島播磨重工業で建造され1984年就航 最大旅客定員722名 ディーゼルエンジン2基搭載 2基合わせての総合馬力は26400馬力 搭載車両 トラック152台 乗用車136台 日本就航時の航路は京都府舞鶴〜北海道小樽間を往復していたフェリーだった、フィリピンへの売却時期は2002年に現在のスルピシオラインズ社へ売られた。
その後改造されて2003年から本格的な営業に入り日本の海からフィリピンの海へと移ったのである、この船はあまりにも巨大過ぎる為にフィリピン国内の主要都市なら何処でも接岸できると謂う環境にはなかった、フィリピン国内第1位2位と謂われる港間でしか運行ができない程大きかった、そして主な問題は当初から二つあった、一つは接岸致す為の港の長さと余裕をもった深さであり、もう一つは数千人規模の乗船客が安定的に乗り降り致す港でなければいけない、船も大きければ一度に運ぶ乗船客も増える、その様な意味で余儀なくされたのである。
その港として名前をあげるならばやはり人口が多い100万人規模の都市「セブ港やダヴァオ港」が有力視された、とりわけマニラ港〜セブ港間での運行を開始2008年6月までの航路となった。         フェリー詳細情報提供者 M.Tさん


悪夢の6月21日他社フェリーは運休の中プリンセス オブザ スターはフィリピン海上保安庁マニラ北港出張所の出港許可を待ってマニラを出港、マニラ湾を抜けると何時もの様にカビテ半島の淵を周りカラヴィテ水道を抜け、バタンガス州と東ミンドロ州の間ヴィラデ島水道を通り、マリンドゥケ島〜バントン島〜タブラス島とロンブロン島の間ロンブロン水道をすり抜けシブヤン海へと達し沈没致すまでに至ったのである、特にマリンドゥケ島付近では台風本体の目に向けて航行致す事となり、まさに前代未聞のフィリピン歴史上例を見ない航海をしたのである、生還者の訴えによれば同船が航行した経過に
「雲ひとつない青空でしかも無風状態」もあったと証言がでた、つまり台風の目に遭遇したのである。
幸い大型フェリーともあってそこまでは何とか来れたが台風の目を通過直後から再び激しい揺れと高波が同船を襲い始めた、激しく揺れる船体前後に大きく傾き後方スクリューが海面より瞬間浮上致す、エンジンに多大なダメージが襲った、当然台風の目に入る前もそうだったはずで度重なる負荷がかかりついに同船は力がつき無動力となって閉まったのである、激しく襲い掛かる波は巨大な船体へ向けて幾度も体当たりが続いた、フェリー内へ積んだコンテナを同社は日頃から固定しなかったのである、その為にコンテナが一斉に傾き滅多に例の無い反転沈没したのではないか、この様に予測がされます。
現実これだけの大型船が下向きに反転する事は極めて異例な姿であった、通常なら横倒しが当たり前と専門家は話す、さすれば亡くなった方も相応に少なかったと指摘する。

同船船長はもはやこれまでと判断、、、、嵐の中船体が異常に傾く中で救助信号を甲板より空高く打ち上げた、船内放送を使い直ちに船を放棄して脱出致す様即した、非常様の警笛を必要以上にならし危機が迫っている事を促し続けたのである、近くのシブヤン島南部サンフェルナンド町の住民はその警笛を激しく降る劇雨のなか複数の島民が耳にしていたのである、既にまさかの事態が押し寄せているとはサンフェルナンド町の人々は誰一人気づいていなかった、沈没までの間甲板から飛び降りた人、携帯電話が水に濡れると壊れると留まった乗客、高波が恐ろしくひざまづき泣き崩れる人、勇気ある人々だけが船から飛び下りたのである、シブヤン島へ辿りついたのは生還者がたったの3人、遺体収容者が4人にしか過ぎなかった。
数日後25人程乗った同船救命ボートがルソン島ルセナ近くの海岸へ漂流したとの第一報が入った、その一行はマニラを目指しマニラ赤十字へ訪れ悪夢の一部始終を話し実態が暴露したのである、その後一行はスルピシオランズ社が用意した航空券で自宅へと急ぎ帰ったのである。

まさにフィリピン海難事故史上例を見ない人災事故に繋がったのである、なぜ!! 海上保安庁は出港許可をだしたのであろうか? 
大型船なのでマサカと思ったと謂うが、あまりにも悲惨すぎる事故で犠牲者の数が700人に登った事、大統領は外遊先アメリカだった、遠く離れたアメリカで沈没を知りコストガードを激しく非難したのである、しかし死んだ人は戻らない、誰に責任があるのだろうか、もちろん台風の中出港したスルピシオラインズ社にある事は確かだが、会社の判断だけでは出港許可はでないのは当然である、だと致せば出港許可を出したコストガードは業務上阻止義務はあったはずである、あまりにも残念な海難事故で痛ましさを覚えた、今期日本でこのニュースを始めに聞いた時は非常に驚いた、それは常識外の事故と感じたからである。
出港さえさせなければ起き得ない事故だったから余計犠牲者の悔しさ怒りを感じずには入られない、私は日本からこのシブヤン島へ渡り現場に立つと余計怒りが込み上げ人災の恐ろしさをまざまざと感じさせられた。

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